※身バレしたくない&10年くらい前のことなのであまり正確に覚えていないので、所々嘘や誇張、ぼかしが入ります。
三者面談。
保護者・教師・生徒の3人で行われ、生徒の普段の素行やら成績やらについて(個人差もあるだろうが)10分程度語り合うソレは、日本で育った人間なら大半の人が経験したことがあるのではないだろうか。
ある人にとっては三者面談なんてなんてことはない行事の一つだろうし、別の人にとってはそれからの家庭内立場を左右する重要な局面になるかもしれない。そして私はどちらかと言うと、いや、どちらかと言うまでもなく、後者の人間であった。
三者面談のシーンを創作で書かなければならない人とかの参考になってくれると嬉しい。
第1章. すまん親上!お前の息子は最底辺!
背景として当時の自分の中学での立場について軽く説明しておこう。
ずばり、成績が学年最底辺だったのである。
学年最下位も何度か取ったことはあったが、大体は下から5~6番目くらいをキープしていたんだったと思う。本人は落ち込むかというとそんなことはなく、何もしなくてもまだ下がいるんだから余裕じゃん!などと思ってヘラヘラして深夜までゲームして授業中に寝る生活を送っていたのだが、周りはそうはいかなかった。
私の親は勉強を強制するタイプの所謂毒親ではなかったのだが、流石に息子が一切勉強せず部活もやめて家でずっとネトゲとポケモンに勤しんでいるのを見て思うところがあったのだろう。段々といかりのボルテージが上がっていき、家庭内での言い争いが絶えない状況であった。
常に父親と母親は言い争い、私はゲームをやめさせられそうになると大声で「助けて殺される!虐待される!」と叫びだし(こう叫べば近所の評判が下がることを恐れて親が手を出さなくなることをしっていた)、飼い猫はストレスからか家の至る所でマーキングを行うようになっていた。
おまけにその時の中学の担任はかなり厳しい人だった。
担当の授業では出席番号順に生徒を当てて答えさせていくのだが、答えられないとその場で答えられるようになるまで基礎から覚えなおさせられるのである(今思うと毎回熱心に教えてくれていたわけで尊敬できる教師だった)。当時私の出席番号周辺には学年でも屈指の出来の悪い生徒が集まっており、そのゾーンを通り抜けるのに2時限くらい使われることになっていたため、その教師の我々への当たりはかなり強かった。
という訳で私は三者面談をとても恐れていたのだ。
その場で言い争いが勃発したらどうしよう。
帰宅後にどれだけ叱られるんだろうか。
そんなことを考えているとあっという間に時は過ぎ、遂に三者面談当日がやってきたのだった。
第2章. 始まるぜ三者面談!嵐の前はベタ凪だ!
三者面談当日。私は母親がやって来るのを待っていた。
校内はいつもとは違う雰囲気で、ちょくちょく他の生徒の親であろう人々とすれ違う。親を伴い玄関に向かっていく同級生を見る度に、早く自分の番も終わってくれないかなと考え祈りを捧げる。もちろん祈りの対象なんていない。
やがて自分の番が近づき、面談に使う教室前に並べられた2個で1セットの椅子に座り親を待つ。この時間帯になるともう注射の列に並ぶ幼児さながらに怯えており、遠い目をして執行の時を待つ。今日は帰ったら何をしようかな。ボスゴドラがもろはのずつきを覚えたから育成したいんだった。そうしよう。
次の次に呼ばれるかな、というくらいの時間になって母親がやって来る。
母上は特に会話を交わすことなく私の隣の椅子に座り、共に裁きの時を待つ。普段反省なんてしたことのない私だが、少しだけ申し訳なさを感じ始めていた。すまん母上。私が不甲斐ないばっかりに、恥をかかせることになってしまって。本当にすまん(涙)。
そして運命の時が来た。
教室の扉がゆっくりと開き、中から担任が顔を出す。
「おたくクン、どうぞ。」
予想に反して担任の口調は柔らかだった。その声には嘲りの色も見られず、その場面だけを切り取れば物腰の柔らかな紳士的教師なのではないかと錯覚してしまうほどだった。
どうせその内怒って厳しいこと言いだすんだろうなあなどと思いながら、私は地獄の釜の中へと飛び込んだのであった。
第3章. 予期せぬ事態!教師はやはり人格者!
結論から言う。
三者面談は一瞬で終わった。
冷静に考えて、教師が三者面談で生徒を必要以上に叱ったりするわけがなかったのだ。生徒指導にかかるような問題児ならいざ知らず、自分は問題を起こす勇気すらないような陰の王であり、全てにおいて最下級の存在だった。それにさっきも言ったようにその担任は本当に優れた教師だった。わざわざこっちが嫌がってることなんてしないに決まっている。
とはいえ少しは苦言も呈されたのだが。それもこのままだと入る大学がどこにもないぞみたいな遠い未来のどうでもいい目標で脅してくるのではなく、せめて成績上位250人の中には入ろうぜだとか、分からないことがあったら教師に相談してくれれば相談乗るぞなどといった具体的で敷居の低いアドバイスのようなものだった。
本当によくできた教師だったと思う。中高の教師に良い思い出はほとんどないが、この人だけは別だ。
そんなこんなで三者面談”自体”は大して怒られることもなく一瞬で終わり、自分の頭の中は帰ってからやるゲームのことでいっぱいだった。
ボスゴドラの育成でもしながらロマサガ2の4000年プレイの逃走連打を進める。それほど幸せな時間があるだろうか。いや、ない。
親もそこまで機嫌が悪そうには見えない。面談でそこまで酷いことを言われた訳でもないから当然だろう。むしろ機嫌は良い方かもしれない。特に問題は起こさない良い子ですよとの評も頂いたし。
こうして懸念していた2つの事項は消えた。教師と親。
教師は優しくて、親はそれをコロッと信じてしまうくらい愚かだった。
絶望の三者面談は、大したことがなかったのだ。
1年後まで俺だけの時間。まさに人生の絶頂にいた。
しかしまだ気付いてはいなかった。最後に大きな試練が待ち構えていることに。
第4章. 真の敵!気付けば帰路は四面楚歌!
ウキウキで帰宅する私。
その存在を周り全てが祝福していた。
空は青く、小鳥が囀り、道路も舗装されている。
ふと前後左右を見ると、自分と同じような親連れの生徒が歩いている。それも一組ではなく、何組も。他の学年のことは知らないが、少なくとも自分の学年では6クラス同時に三者面談が行われているのだから当然だろう。あまり覚えていないが、他の学年の人間もいたのではないだろうか。
そしてそれらの親子連れは、ほとんどが親と楽しそうに話していた。何を話していたのかは定かではないが、おそらく学校のことについて話していたのではないだろうか。面談をした担任の裏話とか、部活の話とか、成績の話とか、話すことはいくらでもあるだろう。
自分は親と全く会話していなかった。この時、自分は親と人前で会話するのは恥ずかしいことなのだと考えていたからだ。実際中学生なんていうのは多感な時期であり、親との関係がぎくしゃくすることも多いはずだ。
だが、気付いてしまった。
自分が親と会話していないのは、本当は恥ずかしいからではない。
話すことが一つもないからだ、と。
当然だ。ゲームと漫画のこと以外何も考えていないのだから。
学校の思い出が何一つ、ない。
放課後の一人遊びに全力を費やし、学校だとほとんど睡眠以外をしない。
人と話せば話題に出るのはポケモンとニコニコの話だけ。
もしかして自分、惨めなのでは?
そう思うと突然、気分が陰鬱になってきた。
それを後押しするのが電車だ。電車内では、何もやることがない。
本を持ってきていればよかったのかもしれないが、その日は忘れていた。
何もやることがないので、ひたすら自分の現状について考えてしまう。
そうして家に着くまでの間に、かつてないほど自分は今後について真剣に思い悩み、もう少し真面目に生きようかなと決意を改めたのだった。
最終章. すまん親上!馬鹿は死んでも治らない!
帰宅しても案の定親は私に殺意を向けてきたりはしなかった。
こうして三者面談は平和に終わり、私が勝手に自爆したという後味の悪さだけが残った。
帰路で覚えたはずの決意は確かに本物だったはずなのだがDSを開くとどうでもよくなり、次の定期テストも学年最下位クラスで学校で受けさせられた英検も試験会場近くのブックオフに吸引されてしまって不合格となった。そして自分が最低の人間であることをますます自覚してしまうのだった。